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2026.09.30

伊勢が坪城跡|安佐北区大林に残る熊谷氏最初の本拠地、その歴史と見どころを紹介

中世の山城跡である伊勢が坪城跡(いせがつぼじょうあと)が残る


ちょっとした歴史散策と、のんびりした景観を楽しめる、超お手軽なローカル穴場スポットです。

「手軽な山城歩き」の入門・練習スポットとしても可能なのでぜひ探索してみてはいかがでしょうか?

この城は、鎌倉時代に武蔵国(現在の埼玉県)から安芸国三入荘へ移り住んだ熊谷氏が最初に本拠を置いた城とされる史跡です。

現在は「熊谷氏の遺跡」の一つとして広島県の史跡に指定されており、曲輪(くるわ)や堀切、井戸跡、石垣など、中世山城の特徴を伝える遺構を見ることができます。

歴史を知ってから訪れると、安佐北区の風景の中に残る小高い丘が、かつて地域を治めた武士の拠点だったことに気づかされるでしょう。

この記事では、伊勢が坪城跡の歴史や熊谷氏との関係、現在も残る遺構、見どころについて分かりやすく紹介します。

項目内容
名称伊勢が坪城跡(いせがつぼじょうあと)
別称塩が坪城跡、伊瀬が坪山城跡
所在地広島市安佐北区可部町大林
時代中世
城の種類山城
文化財指定県史跡「熊谷氏の遺跡」
立地根ノ谷川東岸の高さ約30mの丘
関係する一族熊谷氏
主な遺構曲輪、堀切、井戸跡、石垣など

伊勢が坪城跡は、根ノ谷川の東岸に位置する高さ約30mの丘に築かれた山城です。

城跡には複数の曲輪が配置され、西側には根ノ谷川が流れています。

この川を天然の外堀として利用したと考えられている点も特徴の一つです。


伊勢が坪城跡は熊谷氏が最初に築いた本拠地

広島市出典

伊勢が坪城跡の歴史を知るうえで欠かせないのが、鎌倉時代からこの地域で勢力を広げた熊谷氏です。

熊谷氏は、現在の埼玉県熊谷市周辺にあたる武蔵国熊谷郷を本拠とした武士の一族で、源平合戦で活躍した熊谷直実の子孫として知られています。

承久3年(1221年)の承久の乱で熊谷直国が戦功を挙げたことから、その子である直時は安芸国三入荘の地頭職を与えられました。

そして貞応元年(1222年)に三入荘へ移り、最初の拠点として大林の地に伊勢が坪城を築いたとされています。

当時の三入荘は、現在の安佐北区大林をはじめ、桐原、上町屋、下町屋周辺に広がる地域でした。

こうした経緯から、伊勢が坪城跡は、熊谷氏が安芸国へ進出し、この地を拠点に活動を始めたことを伝える重要な史跡といえます。

現在の安佐北区からは想像しにくいかもしれませんが、鎌倉時代にはこの一帯も武士たちが領地を治める舞台となっていました。

城跡に残る地形や遺構をたどることで、当時の地域の様子にも思いを巡らせることができます。

※下記は歴史資料です。

ご参考にしてください。

https://www.mogurin.or.jp/maibun/bunkazai/kumagai.htm

「ひろしまむかし探検ネット」掲載


伊勢が坪城から高松城へ移った熊谷氏

熊谷氏は、その後も勢力を拡大し、やがて伊勢が坪城から高松城へと本拠を移します。

高松城跡は、安佐北区可部町下町屋の高松山に築かれた山城です。

標高339mの山を利用した規模の大きな城で、伊勢が坪城とは立地や規模が大きく異なります。

伊勢が坪城が高さ約30mの丘に築かれているのに対し、高松城は急な山の斜面や高所からの眺望を生かした構造です。

熊谷氏の勢力が成長するなかで、より広い地域を見渡し、防御にも適した場所へ拠点を移したと考えられています。

広島県の文化財資料でも、熊谷氏が最初に拠点とした場所を伊勢が坪城とし、その後、戦国時代初期に高松城へ移ったことが紹介されています。

伊勢が坪城から高松城への移転は、熊谷氏の勢力の変化をたどるうえでも重要な出来事です。

二つの城跡を比較すると、一族が地域でどのように基盤を築き、発展していったのかをより具体的にイメージできるでしょう。


伊勢が坪城跡に残る中世山城の遺構

広島市出典

伊勢が坪城跡には、当時の城の姿を伝えるさまざまな遺構が確認されています。

山城というと、建物が残っている姿を思い浮かべるかもしれません。

しかし、伊勢が坪城跡で注目したいのは、山の形を利用して造られた曲輪や堀切などです。

・尾根に沿って配置された曲輪

城跡には、尾根を利用して複数の曲輪が設けられています。

曲輪とは、城の中に造成された平坦な場所のことで、建物を置いたり、兵士が活動したりするための空間として使われました。

伊勢が坪城跡では、主郭となる1郭から南西方向へ延びる尾根に沿って4つの郭が配置され、さらに北側にも郭が確認されています。

根ノ谷川へ向かって段状に広がる地形からも、自然の起伏を巧みに利用して城を築いたことがうかがえます。

・敵の侵入を防いだ堀切

山城ならではの防御施設として、堀切も見逃せません。

堀切は、尾根を横方向に掘り込むことで、敵が尾根伝いに城内へ進むのを防ぐためのものです。

伊勢が坪城跡では、西側に3本、1郭の東側にも2本の堀切が設けられています。

現在は木々に囲まれた場所でも、こうした地形に目を向けると、「敵はどこから来るのか」「どの場所を守ろうとしていたのか」と考えながら城跡を見学できます。

・井戸跡と石垣にも注目

1郭の東北端には井戸跡が残されています。

山の上にある城では、水の確保が欠かせません。

井戸が設けられていたことからも、伊勢が坪城が人々の活動する拠点として機能していたことが分かります。

また、1郭南西下の郭では石垣も確認されています。

長さは約20m、高さは1.1~1.5mに及び、土の地形だけではなく、石を用いた城の施設が残されている点も特徴です。

曲輪、堀切、井戸跡、石垣と、それぞれの役割を知ってから訪れると、目の前の地形が単なる山の斜面ではなく、かつて人の手によって整えられた城の一部として見えてきます。

下記は歴史資料となります。

ご参考にしてください。

https://www.mogurin.or.jp/maibun/yamashiro/isegatsubo.htm

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載」


根ノ谷川を生かした伊勢が坪城の立地

伊勢が坪城跡を訪れる際には、遺構だけでなく周辺の地形にも目を向けてみましょう。

城跡の西側には根ノ谷川が流れています。

中世の山城では、山や谷、川といった自然の地形を防御に取り入れることがありました。

伊勢が坪城でも、根ノ谷川を天然の外堀として利用したと考えられています。

つまり、この城は人工的な施設だけで守られていたわけではありません。

丘の高さや尾根、川の位置など、もともと備わっていた地形そのものが城を守る要素になっていました。

現地では曲輪や堀切を確認するだけでなく、城の周囲に広がる山や川との位置関係にも注目すると、なぜこの場所が城として選ばれたのかを考える手がかりになります。


本拠を移した後も役割を持っていた伊勢が坪城

熊谷氏が高松城へ本拠を移した後も、伊勢が坪城がすぐに役割を失ったわけではありません。

広島市の文化財資料によると、その後の伊勢が坪城は隠居所として利用されたとされています。

また、日常の政務を行う「居屋敷」として使われていたとも紹介されています。

一族の中心となる城が変わっても、かつての拠点が別の用途で活用されていた点は興味深いところです。

そのため伊勢が坪城跡は、熊谷氏が最初に築いた城というだけでなく、時代とともに変化した一族の活動を考えるうえでも意味のある場所となっています。


「熊谷氏の遺跡」から広がる安佐北区の歴史

伊勢が坪城跡をより深く知るには、熊谷氏に関係する周辺の史跡にも目を向けるとよいでしょう。

伊勢が坪城跡は、高松城跡、土居屋敷跡、菩提所観音寺跡とともに、県史跡「熊谷氏の遺跡」を構成しています。

それぞれの場所には異なる役割があり、高松城跡は後の本拠、土居屋敷跡は日常の政務を行った屋敷、菩提所観音寺跡は熊谷氏ゆかりの寺院跡として知られています。

これらを合わせて見ると、中世の武士が城を築いて戦に備えるだけでなく、屋敷で政務を行い、寺院との関わりを持ちながら地域で暮らしていたことが見えてきます。

伊勢が坪城跡は、こうした熊谷氏の歴史をたどる出発点ともいえる場所です。


伊勢が坪城跡で身近に感じる山城の仕組み

伊勢が坪城跡の魅力は、現在の安佐北区に残る自然の中で、中世山城の仕組みを身近に感じられることです。

高さ約30mの丘には、曲輪や堀切、井戸跡、石垣などが残されています。

現地では、平坦に整えられた場所や尾根を分断する堀切などを実際に見ることで、山の地形がどのように城づくりへ生かされたのかを想像できます。

また、根ノ谷川との位置関係に目を向ければ、自然環境と城の構造が一体となっていたことにも気づくでしょう。

華やかな天守や石垣が並ぶ城とは異なり、伊勢が坪城跡では地形そのものが大きな見どころです。

歴史に詳しくない人でも、遺構の役割を一つずつ知りながら歩けば、安佐北区に残る中世の歴史をより身近に感じられます。


伊勢が坪城跡はどんな利用が向いている?

伊勢が坪城跡は、中世の山城跡を歩きながら、歴史や自然に触れる散策に向いています。

城跡には複数の曲輪や堀切、井戸跡、石垣などが残っているため、遺構を探しながら歩くと、当時の山城がどのように造られていたのかを身近に感じられます。

また、安佐北区には歴史ある場所や自然を楽しめるスポットが多く、広島市も地域の歴史・文化や自然に触れることを魅力として紹介しています。

そのため、歴史スポット巡り、山城めぐり、自然の中での散策、安佐北区の地域史を知るきっかけづくりなどに活用しやすい場所といえるでしょう。

特に「お城を見る」というより、「山を歩きながら城跡を探す」ことを楽しみたい方に適しています。


伊勢が坪城跡までのアクセス方法


1. 車で行く方法

  • ルート案内
    • 広島市内(紙屋町・広島駅方面)から国道54号線(可部バイパス等)を北上し、可部地区を越えて大林町方面へ向かいます。
    • 国道183号(旧国道54号)沿いにある大林小学校付近を目印に折れ、大林八幡宮を目指します。
  • 駐車場情報
    • 専用駐車場はありません。
    • 登城口から約50m先の路側帯に短時間停車できるスペースがありますが、幅が狭いため注意が必要です。
    • 参拝を兼ねて大林八幡宮に駐車して訪問されるケースが多く見られます。

2. 公共交通機関で行く方法

  • 路線バス(広電バス)を利用する場合
    • 乗車バス: 広島バスセンターから広電バス「三入・可部・吉田方面」行き(上根バイパス経由・吉田出張所行きなど)に乗車。
    • 降車バス停: 「大林」または「大林車庫」バス停で下車。
    • バス停からの徒歩: バス停から登城口・大林八幡宮周辺まで徒歩約10〜15分(約800m〜1km)です。
  • JR+バスを利用する場合
    • JR可部線「可部駅」または「河戸帆待川駅」で下車後、広電バス(勝木・大林方面行)に乗り換えて「大林」バス停へアクセスすることも可能です。

3. 徒歩で行けるのか(登城道の状況・散策性)

結論として、麓の登城口から城跡山頂までは十分徒歩で登ることができます。

  • 所要時間・難易度
    • 登城口(麓)から本丸跡(頂上)までは徒歩約10分〜15分程度で登ることができます。
    • 標高130m(比高約30m)の低い丘陵・山城ですので、本格的な登山装備でなくても散策可能です。
  • 歩く際の注意点
    • 登城道や案内看板は整備されていますが、山道・遊歩道のためスニーカーなどの動きやすい靴と服装でお越しいただくことをおすすめします。
    • 雨の翌日などは足元が滑りやすくなるためご注意ください。

まとめ|伊勢が坪城跡から熊谷氏と安佐北区の歴史をたどる

伊勢が坪城跡は、広島市安佐北区可部町大林に残る中世の山城跡です。

鎌倉時代、安芸国三入荘へ移った熊谷氏が最初の拠点として築いたとされ、その後は高松城へ本拠が移されました。

現在も曲輪や堀切、井戸跡、石垣などが残り、当時の城づくりを伝えています。

さらに、高松城跡や土居屋敷跡、菩提所観音寺跡とともに「熊谷氏の遺跡」を構成していることも、この史跡の大きな特徴です。

安佐北区大林を訪れた際には、現在の風景だけでなく、そこに残る地形や遺構にも目を向けてみてください。

伊勢が坪城跡をきっかけに、熊谷氏がこの地域で築いた歴史や、中世の安佐北区の姿をたどることができます。

筆者:nkjm_kanri

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